フォーレの音楽の魅力を語りはじめるときりがない。それを承知で、ごく一端を10106の言葉で語りたい。まずは作品の全体像、「日常のひとコマを切り取る」、そんな印象を持っている。フォーレの作品といっても様々だが、いかにもフォーレらしい曲ではいつもなんとなく、普通に始まる。そしていろいろあって、途中高揚する部分が必ずあって、最後は最初のテンションに戻って終わる。積極的に語りかけたり、驚かせたり、劇的な演出はほとんどなく、演奏効果は乏しい。この構造はドビュッシーやラベルの作品にもよく使われている。また、彼らと同時代のフランス近代絵画や、フランス映画でも、、、
10106にとってはそれらは全てお気に入りでもあるのだが、、、(^^)
ただ、ドビュッシーでは語りたい美、ラベルでは熱い思いが作品の中に明確に感じ取れる。それに対し、フォーレの音楽では、こうもしたい、ああもしたいんだけれども、こんなことがあって、、、やっぱりこの辺で我慢しておこうか?と、まるで少女マンガのヒロインの心のように揺れ動く。これが音楽だ!と提示する古典、こうあったらいいな?と夢を語るロマン派、故郷の旋律に安心と喜びを見出した多くの作曲家などとは目指す世界がまるで違う。小説では「私小説」という分野がある(あった?)が通じるものがある。フォーレはそんな音楽作品を書ける数少ない作曲家だ。緊張感も少なく、力強さにも欠けるこの音楽はいったい何?若い頃にはまったく理解不能だったが、今はなんとなく解かる。10106も年をとったということか?
フォーレの音楽はごく身近でありながら、現実からふと遊離したうたかたの心の旅。その中に自らを委ねることのできた時、心の内面を洗濯するというご褒美がえられる。 (^^)
あなたはフォーレの音楽に身を委ねることができますか?バッハでも、ジャズでも、お散歩の途中にもフォーレの世界への入り口が隠れているようにも思うのだが、、、
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