純正調と平均律
 

  音程!は演奏家にとって避けて通れない悩ましい問題である。この音程について語る前に、先ず音階について触れなければならない。音階・音程については音楽学の教科書(楽典)に一応記載されてはいるものの、とても奥が深い。音階・音程については日本楽譜出版社の“正しい音階(溝部国光著、)”を読めばその深遠さを垣間見ることができる。

  音階は音楽のルーツにまで戻らなければならない。酒の肴の話題としてはおもしろいが、とりとめがない。クラシック音楽の音階一つとっても実に複雑だ。クラシック音楽の一般的音階・音程として、楽典には純正調平均律について解説されている。平均律はピアノに使われている。といっても、一流の調律師は決して完全な平均律では調律していない。たしかに鍵盤の中央付近では平均律である。しかし、鍵盤の左右の端のほうでは調律師によりの微妙な音程のずれがある。これが調律師の腕の見せ所の一つでもある。

   

  “純正調音階は弦楽器、管楽器で使われている。”と様々な本で書かれている。これが正しいようで正しくない。純正調は音響学的音階ともいえる。原則として合奏、それも和声を重視するゆっくりとした曲の演奏では純正調の意識が重要となる。純正調で訓練されたオーケストラの響きはすばらしく、とても心を落ち着かせてくれる。ヴァイオリンの重音の演奏でも主として使われている。純正調は古典からロマン派、とくにドイツ系の落ち着いた雰囲気の音楽に良く合う。

  一方、平均律のがしっくりする音楽もある。調性のはっきりしない現代音楽などである。調性をはっきりさせないことがねらいなのだから当たり前だが…。ドビュッシーなどのフランス音楽もそうだ。よくコンサートで演奏されるドビュッシーやラベルのピアノ曲では“平均律がこころよい!”と感じるのは私だけではないだろう。

  しかし、純正調平均律で演奏すればそれで良いかと言うと、そうでもない。ここが、音楽の不可思議なところである。たとえば、偉大な昔のヴァイオリニストなどの録音を聴くと、けっして純正調平均律だけで演奏してはいない。偉大な彼らは一人一人微妙に異なった音階を奏でている。音色、響きとともに微妙な音程のずれ、これもソリストの個性、魅力となっている。純正調平均律だけでは飽き足らなくなった時、演奏家は新たな世界に迷い込む。純正調平均律から解き放たれたその世界は理想郷か、はたまた迷宮か?

  あなたの大好きな演奏家はどんな音階で演奏していますか?

  (TNVN 2002.5/18)