となりの音楽家

ひとりごと

モーツアルト
となりの音楽家のお友達、山の音楽家の小リスさん。

 

  モーツアルト(W.A.)の音楽は心地よい。聴く前に身構える必要もない。音が時の流れのままに流れて行く。驚いたり、緊張したり、興奮することが全くないわけではないが、決して刺激的ではない。聴衆の心持としては、楽しいが基調となっている。時に悲しみのフレーズがあっても、強く主張することはない。悲しみの風情を装うかのごとく。悲しみを楽しさ、美しさのスパイスにしているかのようだ。胎教や乳牛の乳の出、そして植物成長にも良いとも言われる所以か?


  モーツアルトの音楽に身を任せると心地よい。この雰囲気はBGMやソフトなジャズに通じるところでもある。フランス音楽にも似たところがなくはないが、身をまかせているととんでもない所に連れていかれてしまったりする。その危険な香りが、フランス音楽の妙なのだが…私はモーツアルトが好きだった。あくまでも聴く立場が前提である。が、演奏する立場となると話は一変する。

   

 

   ヴァイオリンの練習曲はバロックから入る、そしてモーツアルト、ベートーベン、ロマン派と続くのである。その順番はあくまで譜面(音符)の演奏の難易度にだけしたがっている。人前で演奏するとなると???

  バロックは音の連なりが即音楽となる。フレージングにあまりこだわりが無い。演奏の幅も大変大きく許容され、ときにジャズ的でさえある。ベートーベン、ロマン派は若手演奏家が得意とするジャンルだ。熱く、激しく、語りかければよい。それが劇的であるほどさらに良い演奏となる。演奏技術がけっして上手とは言えないアマチュアでも、その演奏は感動を呼ぶ。しかし、モーツアルトの音楽は音を並べるだけでは子供の発表会(失礼!)のようになってしまう。美しく歌い、しかも流れなくてはならない。そのためには、歌う、強弱、そしてフレージングどの面でもあくまでも控えめに、抑えて抑えて…最近、新進気鋭の演奏家?がモーツアルトの曲をあたかもベートーベンやロマン派の曲のように演奏していることが少なくない。あれは、モーツアルトの音楽ではない!モーツアルトに大変失礼な行為だと、となりの音楽家は断言する。
 

  若いころの私も頭では理解するのだが、心では納得することができず、困惑した。ジェットコースターか?ゴンドラか?乗るならどっち?今はゴンドラを選べるようになったように。嬉しい!しかしそこで、お前はどのように演奏するのか?と聞かれても未だに答えに窮する。最近、おぼろげであるが、視力の衰えとともに?モーツアルトの音楽が少しずつ見えてきた感じがする。そして、今、モーツアルトに嵌まっている。あと10年もすると、少しはましなモーツアルトが演奏できる…ような気さえする。これが究極のモーツアルトといえる録音に出会ってはいないが、一流の演奏家でも熟年期の録音にとなりの音楽家好みの演奏が多い。。。

  あなたはモーツアルトの音楽をどう捕らえていますか?嵌まってますか?まだならこれから嵌まってみませんか?

 

  (10106: 2008.7/01)  

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