フランス音楽
 

  この秋に、ピアニストのHさんとのデュオ・コンサートを予定している。プログラムはフランス近代音楽だけで構成した。フランス音楽とはその名の通りフランスで作られた曲であるが、1900年前後にドビュッシー、ラベルなどが作曲した一連の曲がとくにフランス近代音楽と呼ばれる。

  私はフランス近代の曲が好きだ。このごろは室内楽中心に音楽を楽しんでいるが、フランス近代音楽は北欧音楽、ピアソラのタンゴとともに私の音楽生活の中心にある。フランス近代音楽がはじめて私の心をつかんだのは高校3年のころだった。なにげなく買ってきたLPはレーベングート四重奏団のドビュッシーとラベルの弦楽四重奏曲。このころの私は午後、学校から帰ると、まずこのレコードを聴くのが日課だった。その当時のめりこんでいたショスタコヴィッチとは全く異次元の世界がそこに広がっていた。必然性のない音の流れの中に漂い、やさしく包まれるような安心感があった。好きなオーケストラや弦楽四重奏もできず、受験勉強の真っ只中にいた私にはつかの間の癒しでもあった。

   

  そんなフランス近代音楽の魅力は何か?考えてみた。スケールはけっして大きくはない。基本的には額縁に収まる世界がそこにはある。ただ、その中には人知が及ばない深い真実があるはずなのだが、霞みがかかっているのかよく見えない。そこで目を凝らしてみるのだが、やっぱり見えない。そこで悩み、立ち向かうと全く別の音楽ができるのだが…、悩まず不明瞭なまま取り込んで、そこに美意識を感じる。また、人の描き方にも特徴がある。心の奥に分け入ってみる。そこには不条理な世界が広がっている。少し悩んでみたりもしてみるのだが、もともと人の心は移ろいやすく、理解しきれないものとそのまま受け入れてしまう。その姿、心の軌跡をそのまま表現してみる。そんな音楽のように思うのだが。

  だから、どう演奏すればよいのか?難しい。異論はあろうが、古典派音楽は曲の構造を解析すれば、ロマン派音楽は心を込めて演奏しさえすればある程度は格好がつく。しかし、近代フランス音楽はそれではだめだ。演奏者の内面が大きく関わる。曲を演奏者がどのように受け止めるかが極めて重要だ。作曲者の手をはなれた音の世界に演奏者は足を踏み入れる。その世界は実は、演奏者が自らの眼で見、自身の絵の具で描きあげた心象の絵画なのかもしれない。それを聴く私はその世界に身を委ねてみたり、その世界を漂う演奏者に自分を投影させたり、そんな様子を外側から眺めてみたり…。そんな姿勢で、私はフランス近代音楽を楽しんでいる。

  あなたはフランス近代音楽をどう楽しんでいますか?

  (TNVN 2002.9/15)  
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