となりの音楽家の ひとりごと |
音楽と忖度(そんたく) |
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明日は総選挙、結果はA首相率いるJ党の大勝利と予想されている。そのA首相は目下、彼に向けられた忖度となるもので攻撃されている。彼の親しい人の事業に対して政府が特別に有利に行政を行なったのでは?と勘繰られているのだ。この忖度!正しいとか、合法的だとか、好ましいとかの判断基準があいまいなまま、この人の世に昔から連綿とつづいてきた慣習、そして今も人が判断、行動するときの大きな契機となっている。そもそも忖度とは偉い人、また人の団体、会社の上層部に対して行われる一方、自分の周りの身近な人、家族や友人に対するそれは気遣いといわれ、社会、周りの不特定多数の人たちに対する最低限のそれはマナーと呼ばれているものと同類?と10106は考えている。そしてこの忖度!全てを悪いこととして切り捨てることには賛同できない。 さて、忖度論争はそのあたりでいったんお休み!音楽において忖度、気遣い、マナーはどうなっているのか?考えてみた。まず、ソロ、無伴奏の演奏の場合、練習では「騒音にならないように」が最低限のマナーか?ただ、人前で演奏するときは、聴衆に受け入れられるか?好まれるか?うるさい評論家にどう評価されるか?などへの気遣いが必要である。いづれにしろこれらのことは音楽を人前で演奏する際、最低限のマナー(お約束)と言える。これを無視すると、二度と自分の演奏を聴いてもらうことができない。ジャイアン(ドラえもん参照)を除いては、、、 |
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次に合奏、室内楽の場合。ここでは自分以外の演奏者が存在し、一緒に曲を演奏(合奏)する。クラシック音楽では楽譜があり、そこには音符、演奏の速さ、音の大きさ、時には作曲者の要望(表情記号)が記載されている。また、先人たちのすばらしい演奏記録(録音)が残されており、それを予め聴いておくことから合奏練習は始まる。実際に音を出す練習が始まると演奏の速さ、音の大きさをお互いの演奏を聴きながら調整する。次に曲のイメージを共有して、フレージング、歌い方(抑揚)、曲想を洗練させる。その際には他の演奏者のすばらしい歌いまわしやテクニックをまねることもあれば、回りの演奏者に語りかけたり、演奏の適正な速さを追求したりする。しかしこの過程で、確かに話し合って方針を決めることもあるものの、気遣いが大部分を占めている。そして、公開演奏では、ソロの演奏でのお約束をプラスすることはいうまでもない。 このようなオーケストラのようなスタイルを好まない音楽家は少人数の合奏形態で演奏活動を続けている。クラシックでは室内楽、ジャズやタンゴでも数人の演奏形態で活動している演奏家たちである。彼らは多くの聴衆を前にしてのコンサートは難しいものの、ディープなファンの前で演奏をエンジョイしている。室内楽が大好きな10106もその一人!練習では精一杯周りのメンバーに気遣いし、コンサートでは室内楽に魅せられた一握りの人たちを癒すために、これからも演奏活動を地道に続けていこうと思っている。
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(10106: 2017.10/21) |
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